僕の考え方は、

 


クラニオセイクラル・バイオダイナミクスでいうところの

 


インハレーション、エクサレーション、などのリズム(タイド)は

 


手の繊細な感覚で感じているのではなく、

 


とある変性意識時に、体全体というか、脳のどこかの部分が感じているのであり、

 


どこかの本に書かれていた、分厚い電話帳の下にある髪の毛の存在を探す練習をしても

 


おそらくままならない。あるとすると練習によって得た心の余裕(游)のほうが貢献している。

 


その変性意識時は、まさしくクライアントと同調、共感しており、

 


ある種、全体性や同一感も感じている。

 


その時は、おそらく、わずかな変化や起こりうる前の段階の状態も感じる。

 

武道でいうところの”先”や”先の先”などもある変性意識の時に感じる。

 


剣が禅を取り入れたことがよくわかる。

 


そして

 


整体や剣の達人も

 


段々、所作が柔らかくなっていく。

 


それを形だけで見ると触るか触らないかのテクニックをやっているかのように

 

見える。

 


形だけを習っても全く意味がない。

 


おそらく達人は、意識的か、無意識かはわからないが、何らかの変性意識の中にいる。

 


そして、それぞれのつくる方便を身にまとっている。

 

たとえば、クラニオセイクラルの5gタッチは方便なのだ。

 


なぜなら、後頭骨のホールドや、仙骨のホールドは

 


手のひらにそれぞれの部位の重量がのしかかる。

 


その段階で5gをはるかに超えている。

 


それでも教える人も習う人も、疑いなくこの5gタッチという表現をつかう。

 


方便に洗脳されれているのだ。

 


思考停止状態だ。

 


どんな権威ある体系も、

 


真実の端々に、方便が散りばめられ、学ぶものは翻弄される。

 


どこまでが真実で、どこからが方便なのか。

 


見極めたい。

 

 

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